atoiuma’s blog

人生あっという間。マイペースにおもしろく。

インドネシアには、ゴトン・ヨロンがある

さてさて、6月最終日だ。来月には念願のインドネシアへ!

 

というわけで、今回はインドネシア本の感想。

インドネシア駐在3000日

インドネシア駐在3000日

 

 

1993年から3000日も駐在していた坂井さんの記録。情報が古いところもあるけれど、楽しく読めた。強盗に襲われた経験なんかも書いてある。

 

いくつか面白かったところメモ。

 

名字がない!?

まず、名前。なんでもこっちの人は、名前をどんどん付け加えていくらしい。例えば成人式などの節目や、運悪く事故にあった時など。なので、名前を3つ持っている人もいる。なので初対面の時にはお互いに「どの名前で呼べばいいですか?」という会話が行われる。生まれながらの名前がいいのか、最後につけた名前がお気に入りなのかは人によると。面白い!

 

さらに驚くべきことに、名字がない人がいるらしい。ファミリーネームがないというのは初めて聞いた。で、名字がないからこそ家族や親類のつながりが強いのではと著者は書いている。お財布には大体家族の写真が挟まっているとのこと。面白い分析。ちなみに私、財布に入れるどころか、そもそも家族の写真を持っていないわ。。。

 

日本人が手で物を食べてみると。。。

インドネシア家庭では、スープ以外手で食べる。(普段はスプーンとフォーク)そっちの方が自然で美味しいそうだ。著書がこれを真似してやると、口の右側に寄っちゃってほっぺたが汚れてしまい、ちゃんと食べるのに苦労したとあった。面白い!確かに私たちはずっと道具を使っているので、手で食べる距離感を脳が忘れているのかもしれない。もちろん現地で試します!いやでも、2019年だし、カルチャーが更新されているかもしれないな。

 

ちなみに、インドネシアでは左手が不浄の手になるそうです。。。握手とかは右手で。でもこれ、本当に守られているのだろうか。それも確かめてこよう!

 

ちなみにちなみに。庶民レストランを訪れた時の大事な心構え。食事前に、スプーン、フォーク、そしてお皿を備え付けのティッシュペーパーで拭きましょう。結構お腹が下るようなので、衛生面には注意をこの教えは、タイでもよく聞いたし、現地の人は当たり前のようにやっていたなぁ。

 

インドネシア流じゃんけん

suit(スイット)はインドネシアのじゃんけん。

ガジャ、スムット、オラン (gajah, semut, orang) 象、蟻、人間。

蟻は象に勝ち、象は人間に勝ち、人間は蟻に勝つ。

親指あげる(いいねマーク):象

人差し指あげる:人

小指あげる:アリ

 

小指あげるって面白い。これも現地の人とやってみよう!

 

埒があかないので、ラチを開けよう。

(laci)はインドネシア語で「引き出し」。はい、それだけ。

 

 

おかゆになってしまったご飯(ことわざ)

覆水盆に返らずの意。nasi sudah jadi bubur. ナシー スダー ジャディ ブブール

面白い。おかゆ(bubur)は、朝食によく食べられるポピュラーメニューらしいです!

 

子供が大好きな国民性

同居する兄弟、お手伝い、親戚に囲まれた大家族で育つインドネシア人は、人懐っこい人が多い。子供を見たら、まずは一緒に遊ぶと。

 

レストランに行くと、スタッフがお客の子供と戯れる。面白いのが、その際待たされている他の客は怒らないと。多少仕事から離れても、子供に構う時間が許容されている。国全体が子供を慈しむカルチャーをまとっているのだ。なので、子供連れでレストランに行ってもストレスがないそう。すげえ。日本とは違います。

 

イスラム教徒用の小便器

イスラム教徒用の小便器には、中央に蛇口がついているらしい。ボタンを押すと、便器洗浄の水と同時に、その蛇口からも水が出ると。何をするのかというと、便器じゃなくて、男性のものを洗うのだと。初耳。出会う機会があると嬉しい。

 

ゴトン・ロヨン

インドネシアには、稲作文化から生まれたと言われる「ゴトン・ロヨン  gotong royong(相互扶助)」がある。困った時は助け合う。

 

年金、保険制度が未熟なインドネシアは、入院などの急な出費が必要になった時、カンパを集める。大きい会社にいると、週に何度もカンパ箱が回ってくる。みんな余裕がない中で、当然のように寄付をする。

 

押し屋、渡し屋、傘小僧

大雨と強風で浸水し、動けなくなってしまった自動車。そこに突如として現れる少年。グッと車を押して避難場所まで移動させる。彼らは「押し屋」と呼ばれる。

 

その他にも、洪水で孤立した人を2階から避難させるための「渡し屋」、急な雨の時にすっと横から現れて、傘を差し出し、目的地まで案内してくれる「傘小僧」。

 

なんて逞しいのだろう。困難をチャンスに変えている。今の時代にまだ存在しているのかわからないけれど、傘小僧には会ってみたい。

 

まとめ

子供大好きな国民性といい、ゴトン・ヨロンといい、懐の深い国というイメージが湧いてきた。早く訪れてみたい。

 

前に読んだインドネシア本の感想。

hirosweets.hatenablog.com

プログラミングを独学で学びました!と爽やかにいう人たち

プログラミング学習をマイペースに続けている。

 

いやあ、本当に滑らかにいかないものですな。エラーが起こるしバグるし、本に書いてあることもわからないし。

 

今はMAMPmySQL文字コード確認につまづいている。ネットでググった通りにやっても出来ない。なんてストレスフルなんだ!プロゲートって本当に挫折しないように優しく優しく作られているんだなってことがよくわかる。

 

そんな時、teratailという質問サイトに疑問点を書くと、優しい皆様が知恵を授けてくれる。とてもありがたい。今はただ知識をもらうだけだけど、いつかはお役に立てればなと思っている。

 

やはり初心者は、スクールに通った方が時間の超短縮になるし、良い選択なんだろうという結論。高いけど。

 

無料で通えて就職まで面倒見てくれるタイプもいくつかあって、その内訳は、企業がその学校にお金を払っているわけです。企業様のお金によって私たちは無料で学ぶことができる。その対価として、ちゃんと就職をしないといけない。他の転職サイトでの活動は禁止される。まあ当たり前ですね。プログラマーになるんだ!エンジニアになるんだ!と腹が決まっている人はこういうスクールを使った方が圧倒的にお得。私はなんだか息がつまる気がして、とりあえず行っていない。

 

それにしても、このプログラミング学習を独学であっさり学んじゃう人たちがいることの凄さよ。自分である程度やってみてよくわかる。

 

やはりググる力と論理的思考力なのだろうか。楽しむこと?我慢強さ?

 

プログラミング学習は、私にとってもどかしく感じられる。錆びついた自転車をゴキゴキ漕いでいる感覚。だからストレスが溜まる。もちろん気持ちのいい瞬間もあるから継続しているのだけど。一度概念を掴むと、もうそこに難しさは感じないのでホイホイ進める。その時は達成感がある。

 

とりあえずまだ飽きていないし、嫌いにもなっていないので、地味に継続していこう。そんな6月の終わり。

横尾忠則さんから学ぶこと

ほぼ日の読み物を漁るのが趣味の一つだ。

 

先日21周年を迎えたほぼ日が、入り口としてオススメの記事をいくつか紹介してくれている。

www.1101.com

 

その中でふらっと読んだ横尾忠則さんの記事がとても興味深かった。他の記事も読み、本も1冊読了した。

死なないつもり (ポプラ新書)

死なないつもり (ポプラ新書)

 

 

本当に恐れ多いのだけれど、シンパシーを感じた。共感できる箇所が多かったし、また真似したいなぁと思うところも見つかった。

 

早速ツイッターをフォローすると、谷中で個展が開催されているという情報を得た。7月6日までだという。

 

なんてラッキーなんだろう!東京に住んでいて良かった!行こう!

 

ってことで、随分前置きが長くなりましたが、行ってきたのです。

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場所

私は鶯谷から向かったけれど、公式を見ると日暮里からの方が近いようです。

 

 

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ほぼ日の記事にも出てきた、横尾さんの自画像。大きくて、力強い。近くでまじまじ眺めてしまった。よくこんなものが描けるなあ。

 

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絵の見方がわからない。だからあまり美術館には行かない。みんなどうやって見ているのだろうか。。。とかぐだぐだ考える必要はないらしい。ただ感じればいいと。なるほど。。。

 

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真ん中にいるのはエジソンです。好き。

 

絵を見てまず思うのは、「なぜこの絵を描きたいと思ったのだろう」という動機の部分で、でもそんなのはわからない。本人だってわかっていないかもしれない。そういう箇所に、フィーリングじゃなくてロジックで向かっていこうとするからダメなんだろうなあ。

 

気持ちを言葉にすることや、言葉を使って説明することが好きな私に、やっぱり絵は難しい。

 

そんな私でも、この個展の空間はすごく居心地が良かった。許されるのなら、机と椅子を持ってきて、ゆっくりコーヒーでも飲みながら文章を書いたり考え事をしたいなと思った。

 

横尾さんから学ぶこと

 

横尾さんは自分自身のことを、「かなりの面倒臭がり屋で自分勝手。他者にあまり関心がなく、飽きっぽい」と話している。シンパシーを感じる。

 

また、破壊が好きでそれをしないと息苦しいし前進できないという箇所にも共感した。私は物を捨てることが好きで、よく捨てる。ものが少ない空間は居心地がよく、頭もクリアになる。「捨てる」と「破壊」は少し違うけれど、でも似たようなものだ。親近感を覚える。

 

そんな横尾さんが「無頓着」を勧めていた。理屈をこねないで、無頓着に生きること。こだわりを減らすこと。

 

この点では、横尾さんと正反対だ。私は理屈が好きで、納得のいかないことに対しては反論したり、説明を求めるという癖がある。こだわりもいくつかあって、頑固な側面がある。

 

でも、もう少し頭や心を柔らかくするべきなのかもしれない。右脳的な能力も身につけた方が人生は豊かだし、最近自分に疲れてきた。

 

無頓着に生きよう!と決めて生きれるものではないけれど、徐々に緩めていけたらいい。

 

個展、7月6日までです。居心地がいいです。ぜひ。

イナムラショウゾウおそるべし!

前から気になっていた、パティシエイナムラショウゾウに行ってきた!前回行ったときはまさかの定休日だったので、リベンジ!

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場所

鶯谷から少し歩く。10分くらいかかった気がするが、公式では7分。

 

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写真が悪いので伝わらないと思うけど、どのケーキもすんごく美味しそう。この時点で、私の胸は高鳴った。

 

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すげえ!モンブラン愛好家の夢ですねこれは!ビッグサイズ、いつか友達がたくさん出来てパーティーを開くことがあったら買おう。まずは友達作りから頑張ろう!

 

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お目当のモンブラン。面白い形をしている!良いね。下のタルトも本当に美味しそう!キラキラしている。

 

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これが本当に美味しそうに見えて、抹茶好きな私はすごく迷った。モンブランも食べるので、1日2個のケーキは体に悪い。うーん。。。

 

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結果、買ってしまった。買っちゃったらもう食べるしかない。罪悪感を捨てて、実食。

 

まずは、モンブランだ。

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外はモンブランペースト、中はバニラビーンズ入りのクリームとスポンジというシンプルなもの。すごく食べやすかったし、何より中のクリームがとても美味しかった。美味しかった!

 

次、利休。

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外は抹茶、中はミルクプリン的なもの。下にはスポンジ。驚いたのが、ミルクプリン的なものの中心が、冷たいのだ。どうやっているのかわからないけど、中心だけが冷たい。そして、上の抹茶から下の生地までを一気にスプーンですくって口に入れると、それらが見事にマッチしてアメイジングな味。アメイジングな味!


2つを食べてみて共通して感じたのは、「高級な味がした」ということ。高級な味ってなんだよ!うーん、なんというか手の込んでいるスペシャルな味。満足感がすごいのです。うまく言えないけど、普段食べているケーキとは一味違う味。結論は、美味しい。

 

まとめ

すごく美味しかったし、高級な味がした。他のケーキたちも本当にキラキラしていたので、ぜひ食べて見たい。チョコ系とかスンバラシイルックスだった。

 

なお、このお店は7月10日で閉店して、8月11日に日暮里駅近くにリニューアルオープンする予定とのこと。

 

www.inamura.jp

 

谷中銀座の観光もできるし、美味しいケーキも食べれるしということで、素晴らしい!あ、かき氷の名店ひみつ堂もあるじゃん日暮里!

himitsudo.com

 

 

8月は日暮里が熱い! 

様々なものが一般化されていく現代

今更ながらメルカリが面白い。

 

ビジネス経験ゼロの素人だけれど、ちょろちょろ出品している。

 

自分で値段をつけるという行為は、普段しない作業だ。実際にやってみて、自分だけの物差しで設定しても全く売れないということがわかった。相場を見て、どれくらいの金額にするといいのか試していく。これが結構楽しい。自分の思った通りにことが運ぶと、思わずガッツポーズしたりする。

 

モノを売ることって、楽しいかもしれない。

 

メルカリというサービスのおかげで、「モノに値段をつけて売る」という行為が一般化された。もちろんヤフオクとかフリーマーケットというのは今までもあったけれど、めんどくさがりの私には敷居が高かった。メルカリ、すごい。

 

やっぱりテクノロジーって素晴らしいなあ。今って、有象無象でもブログが書けるし、ツイッターで著名人とやりとりが出来るし、youtuberとしてチャンネル持てるし、図書館に行かなくたって簡単に情報が手に入るし、地球の裏側にいる相手にも無料で簡単に通話出来るし、LCCによって安い金額で海外旅行に行けるようになった。

 

昔は一部の人にしか許されなかったことが、どんどんオープンになって、敷居が下がってきている。やりたいことがある人にとっては、すごくいい時代になっているなあと思う。逆に、やりたいことがない人にとっては、差がついちゃう時代なのかもしれない。

 

日本の未来は暗いかもしれないけれど、出来ることの量は圧倒的に増えている。それぞれの幸福を追求しやすくなった現代は、そんなに悪くない気がする。

 

せっかくチャンスに溢れているのだから、自分の欲望や可能性に蓋をせず、かる〜く動ける自分でありたい。

生きるとは、自分で選択していくこと。

前々からずっと読みたいと思っていた幡野さんの新刊を入手した。

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ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

 

 

この文章を書くのは、2回目を読み終えた後になる。

 

いつもは1回読んですぐに書くのだけど、この本はちょっと内容が重かったし、1回読んだだけじゃ消化しきれなかったので。

 

幡野さんの紹介は、ほぼ日の記事を読んでいただければ。

www.1101.com

 

他に、ブログや人生相談などたくさんテキストがあるので興味がある人はググってください。幡野さんの文章の嘘の無さ、切れ味の鋭さに驚きます。

 

内容

最初の方は多発性骨髄腫になり苦しんだ過程が描かれている。自殺を考えるほどの痛み、、、癌になって1年以内に自殺する確率は健常者の24倍というデータもあるそうだ。当事者にしかわからない世界。

 

病をブログで公表すると、いいメッセージも悪いメッセージも届いた。その中には、引きこもりやDV、アルコール依存症などで苦しむ人たちからのものもあった。興味を持った幡野さんは、彼らを取材することに決め、旅に出た。

 

そこで出会った30人以上の中で、代表して3人の方のお話を掲載。これがまたどれも重いもので読んでいてズシンとくる。

 

取材を続ける中で、多くの人の問題には、人間関係、特に「家族」の問題があることがわかった。家族内に問題を抱え、それがいろんな形でストレスとなって健康を蝕んでいる。

 

一体、家族とはなんだろう。愛するべき人たちの集まりじゃなかったか。幸せな集団じゃなかったか。

 

NASAの家族の定義

NASAには、「直系家族」と「拡大家族」という2つの家族の定義がある。シャトルの打ち上げ時に特別室に入れるのは宇宙飛行士の直系家族のみで、拡大家族は入れない。

 

直系家族とは何か。「配偶者、子供、子供の配偶者」のみ。親や兄弟はそこに加わらない。それらは皆、拡大家族に該当する。

 

つまり、NASAは、家族の最小単位はパートナーだと位置付けたということ。先天的に与えられた「親、兄弟」は、そこに該当しない。

 

人生とは、自分で選択するもの

親が毒親だったら、切ればいい。いつまでも彼らの子供として自分を抑えてバランスを取る必要はない。親不孝と世間に言われたって気にするな。人生は自分で決めるのだ。

 

それが、幡野さんからのメッセージだ。

 

幡野さんはご両親とあまりうまくいかなかった。それでいい。私もうまくいかない方だった。世間は無神経に「親孝行しないとね!」とか「親が生きているうちだよ、あんたが大きくなったのはお父さんお母さんのおかげなんだから」と言う。そんな人たちがイメージする親と大きくかけ離れた親は、確実に存在する。その元に生まれた子供たちにとって、親孝行をしろと促す発言は、暴力だ。わかる人には、わかるはずだ。

 

人生は、自分のために。先天的なものはなるべく無視して自分で人生を切り開いて行こう。学校を選び、仕事を選び、パートナーを選ぶ。人生は、選べる。そして、最後は、死の形だって。

安楽死という選択

日本では、安楽死は違法だ。医師が薬物を投与すると殺人罪、患者さんが自らの意思で投薬しても、嘱託殺人の罪になる。許されているのは、尊厳死とセデーション。

 

尊厳死とは、人間の尊厳を守ろうというもので、スパゲッティ症候群(身体中に管をつなげられている状態)からの延命治療を中止したり、控えて死を迎えるもの。セデーションは、投薬で意識レベルを低下させ、数日後に死を迎えるもの。この2つなら、日本でも可能だ。ただ、セデーションは家族の同意が必要だし、医師のジャッジ次第なので、もたつくこともあり得る。その点でやはり、安楽死が一番確実。

 

幡野さんは、スイス安楽死協会に登録している。世界で唯一、スイスだけが外国人の受け入れをしているのだ。ここでは、患者さんが自らの意思で投薬を開始する自殺幇助のスタイルが行われている。

 

幡野さんにとって、安楽死は安心材料だ。自殺を考えるほどの痛みがまたやってきた時、いざとなったら死ねるんだと考えると楽になる。

 

幡野さんが目指すもの

今、幡野さんはとにかく自分の直系家族である奥さんと息子さんのことを考えている。自分が無くなった後に周りにいる親類や友人知人が、悪意のない言葉で彼らを追い詰めないように、人間関係の整理をして亡くなろうとしている。周りの適当な言葉に騙されないよう、息子さんには膨大な量の写真や文章を残している。人が語る像は無視して、ただお父さんの作品である写真を、文章を読んでほしい。その表現がお父さんだ。お父さんは君のことを天国で見守ったりせず、好き勝手にやってるから、お前も好きに生きろ。

 

まとめ

幡野さんの嘘のない言葉に、救われる人、気付く人、考える人がいっぱい出てくると思う。すごく価値のある文章だ。

 

個人的に一番驚きだったのは、NASAの家族の定義の話。そうか、確かに親や兄弟は選べなくても、パートナーは選べる。自分で人生は選択できる。生まれて初めて、家族を持つということに関心が湧いた。

 

自分の人生、選んでいこう。元気をもらった。

 

ちなみに、安楽死については先日ドキュメンタリーを見たのでその記事も良ければ。

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マーケット感覚を身につければ希望が見える

 有名ブロガーちきりんさんの本を読んだので感想を。

 

最初に

とんでもなく面白い本。ビジネスマンだったりマーケティングをやっている人にとってどうかは知らないけれど、私には発見と驚きの連続だった。読んでて元気が出てきたので、後で自分が読み返すことも考えながら書いていく。長いです。

 

全部、マーケット。

この世界は、全てがマーケットだ。日常の買い物はもちろんのこと、就職だって、寄付だって、婚活だって、全部が供給者と需要者で価値のやり取りをしている。

 

ちなみに、この本でのマーケットの定義は、

不特定多数の買い手(需要者)と、不特定多数の売り手(供給者)が、お互いのニーズを満たしてくれる相手とマッチングされ、価値を交換する場所

そして、マーケット感覚とは、

売れるものに気がつく能力

価値を認識する能力

 のこと。

 

価値とは何か

 

軽自動車=遠い距離を、短い時間で移動できる。

      重い荷物を、簡単に運ぶことができる

 

フェラーリ=豊かに見える。

       承認欲求が充たせる。

       女性をデートに誘いやすくなる

 

同じ自動車だけれど、価値は異なる。ここ、むちゃくちゃ面白い。今売れているものが提供している価値とは何か。自分がお金を使ってまで欲しい価値とは何か。商品名に捉われず、掘ること。

 

需給バランスによって決まる価値

トリュフの金額が高いのは、美味しいからでも栄養価が高いからでもない。ただ単純に、レアだからだ。供給が増えないのに、需要が増えている。だから希少価値が上がって、金額が上がっている。

 

最近では、博士号を取得した人や、日本最難関の司法試験をクリアした弁護士が厳しい戦いを強いられている。

 

理由は、供給が増えすぎてしまったからだ。欧米先進国と比較して博士号取得者や弁護士が足りないと考えた国が、学部の定員や試験の合格者数を増やした。ところが、日本と欧米では環境が違う。需要は伸びず、供給だけが膨らんだ結果、厳しい状態に追い込まれたと。

 

一方、医師は圧倒的な供給不足。高齢化に伴う病気の増加、高齢出産、生活習慣病精神科医を訪れる人が増えるなどで需要が膨らんだ。よって今、医師はハードな労働環境にある。

 

一般に、職業の供給数は、市場によって決まる。需要があれば増えるし、無ければ減っていく。ところが、上にあげた博士や弁護士、医師などは、国や業界団体が決める。もしも時代や市場を読むのが下手くそな人が意思決定をしたら、需給バランスは崩れ、めんどくさいことになると。

 

大事なのは、「最難関の試験だからクリアしたことに価値がある!」とか、「国家資格を取ったから安泰だぜ!」ではなく、しっかりと市場を読み、需給バランスがうまくいってるかを確認する必要がある。

 

英語は必要?

そうなってくると、英語はどうなるだろう。「世界共通語だし、これから日本は少子高齢化が加速してマーケットも縮小確定なんだから、そりゃ必要でしょ。むしろここからが本番でしょ!」

 

いや、待てよと。今更日本人が英語を喋れたところで、果たして大きな価値はあるのだろうか。

 

21世紀になって伸びた国の一つがフィリピンだ。その理由は、彼らが英語を使えることにある。国民の1割が海外で働き、自国に送金するという人材派遣国家になれたのも、欧米の企業がどんどんフィリピンにコールセンターを置いて雇用が増えたのも、全部英語が話せることから始まっている。

 

加えて、インド人も英語を使えるようになってきた。そんな中で、私たち日本人が英語を使えるようになっても、供給過多の世界に突っ込んでいくことにはならないだろうか。

 

それよりも、例えば、インドネシア語をやってみるのはどうだろう。人口は世界第4位で2億5千万を超える。経済も発展しているし、資源もある。これから先、観光で日本に来るインドネシア人がどんどん増えるかもしれない。そのときに備えて動いていた方が賢いのでは?今現在、インドネシア語を話せる人は少ないだろうし、ましてや国民の9割がイスラム教徒である彼らを文化ごと理解している人はさらに希少だろう。需要が見込めて、供給が少ない今のうちに、飛び込むのもありではないだろうか。

 

著者のちきりんさんは、もし今20代だったら、おそらくアメリカではなくインドネシアに留学するだろうと書いている。なるほどなぁ。

 

選んであげるという価値

世界は今、物と情報に溢れている。その中で選択するということは、調べて自分で決めるのが好きな人はいいが、すごくめんどくさい。その時に助かるのが、信用できる相手に選んでもらえるサービス。洋服を選んでくれるサービスもあるし、ググれば、「新宿でオススメのカフェ8選!」なんてものがたくさんある。そうやって自分の代わりに選んでくれたり、選択を助けてくれるのも立派な価値だ。なるほど確かに。

 

需要を見つけること

世の中には、面白い会社や仕事がある。

 

例えば、不満買取センター。1つ10円で不満を買って、それを1つ5円で企業に売る。企業は商品開発やサービス向上のためにお客さんの意見が欲しいのだ。そこに気づいたから生まれた会社。

 

他にも、最近でいうと、退職代行サービス。文字通り、退職作業を代わりにやってくれるものだ。最初これを聞いた時、なんだそれと思った。しかし、世の中にはブラック会社にボコボコにされて疲弊している人、お金を払ってもいいから二度と会社の人間に会わずにやめたいと思う人がいる。だからこそ、この仕事が成立する。

 

また、専業主婦が日々の家事の中で発見したアイディアから便利アイテムが生まれ、ドカンと稼いだ人もいるわけで。

 

世の中を眺めて、生活の中で、問題点を見つける、需要を見つける。これぞ、マーケット感覚。

 

この視点に立つと、私だってなんとかなるのではないかという気がしてくる。

 

私が提供できる価値とは?

例えば、元引きこもりという経歴は、就職活動においてはマイナスに働くだろう。しかし、経験者だからこそ、引きこもり脱出の過程を話すことはできる。それは、ある人にとっては価値があることかもしれない。

 

また、今まで安い料金であちこち旅をしてきた経験も、人によっては価値を持つかもしれない。海外未経験の人たちはまだまだいて、彼らは勝手がわからなかったり、不安を覚えていたり、すごくお金がかかるものだと思い込んでいたり、英語が喋れないと無理だと信じ込んでいたりする。そういう人たちの背中を押すことは出来るかもしれない。

 

もちろん今あげたものはとても小さいことだし、私しかできない!なんて大層なものじゃない。しかし、そうやって価値にフォーカスして考えることがマーケット感覚だ。

 

p164 「今、自分を雇ってくれる人はいない」

          ↓

   「今、自分の労働力には値札が付いてない」

          ↓

   「だから、自分には価値がない」

という発想では、誰かが値札を付けてくれるまで、自分で自分の価値が認識できません。

 

価値を探す筋肉をつけよう。

 

まとめ

長い文章になってしまった。他にも面白い視点や情報がたくさん詰まっているので是非とも読むべき。私はこの本から希望をもらった。

 

それにしても、ちきりんさんやっぱりすごいわ。そりゃ有名ブロガーになるわけだ。折に触れて読み返してマーケット感覚を鍛えていきたい。